「マタイの福音書」連続講解説教

言葉の心を知る

マタイの福音書第5章17節〜20節
岩本遠億牧師
2019年7月21日

“わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。”
マタイの福音書 5章17~20節

地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。
      ↓
どのように神の言葉を聞き取っていくのか?
      ↓
私たちはどう生きるのか?

あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

天の御国
✕死んでから行く天国
○この地に行われる神の支配
➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。

誰に語られたのか?
幸いなるかな!
心(霊)の貧しい者
深い悲しみの中にある者
低められている者
義に飢え渇く者
憐れみ深い者
心の清い者
平和を造る者
義のために迫害されている者
➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。

心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義がある。

では、その「義」とは何か?

聖書における「義」=関係の正しさ
・神様との関係の正しさ
・人との関係の正しさ

神様は、「律法」によって「関係の正しさ」とは何かを示しておられる。   

十戒 1〜4:神と人との正しい関係
5〜10:人と人との正しい関係

  1. わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
  2. あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
  3. あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。
  4. 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
  5. あなたの父と母を敬え。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
  10. あなたの隣人の家を欲してはならない。

十戒を基礎とする613の規定

さらに、律法学者、パリサイ人たちによる多くの細則(口伝律法)

「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」

キリストの十字架刑の理由
・安息日主義の否定
・神殿礼拝主義の否定
 ➡︎律法を廃棄しようとする者として処刑

律法を成就/完成/満たすとは何か?

キリストの聖書解釈の手法:ミドラッシュ

ミドラッシュ:「尋ねる、求める、探す」という語根から派生。

表面の世界の裏側にある、内側の真の状況を明らかにする。

✕聖句の説明や解説

○書かれている文字の裏側にある意味や論理(内的意味と傾向)を聖書全体の出来事やその状況を考慮しつつ引き出すこと。手島勲矢「成文律法と口伝律法」

まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。
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その内的意味を基盤に律法を完成する

“主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。” 創世記 6章5~6節

“わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。” エゼキエル書 11章19~20節

肉の心=霊の貧しさを知る心、深い悲しみを知る心、低められることを知る心

心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義(神様との正しい関係、人との正しい関係)がある。

“雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、
まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。” ヘブル人への手紙 9章13~14節

“また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、
心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。”
ヘブル人への手紙 10章21~23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。
この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。”
ヨハネの手紙 第一 2章1~2節

1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちをきよめます。

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