「ヘブル人への手紙」 連続講解説教

誇り高く生きよう

ヘブル人への手紙第3章1節〜6節
岩本遠億牧師
2018年5月6日

そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。
家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。
家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。
モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会


アンドリュー・マーレー著『至聖所』
「私たちが神の家である。」
それは、木や石の家のようなものではない。木や石の家は、その中に住むものとその家と何ら活ける関係はない。しかし、ここで言う「家」では、キリストは生命の中の生命としてご自身の気質や性向を吹き込みつつ、私たちのうちに住み給うのである。私たちの道徳的霊的存在、意志し、生活し、行動する能力、これらの中に彼は、神的なる、隠れたる、けれどもなお強い能力また作用をもって来たり、また住み給うのである。

「子としてして神の家を忠実に掌り給えり」
けれども、彼は、彼自身の家の中にて主人であらねばならぬ。あなたが自ら鍵を持ち、管理し居る間は、彼はただ尊き客であり給う。多くの基督者にとっては、その如くであるが、かくはあらざれ。否、神の家を掌る御子として、鍵を彼にささげ、全存在の上に全管理を取らしめ奉れ。彼は、彼が神にもあなたにも如何に忠実(真実)なるかを立証し給うであろう。

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