「マタイの福音書」連続講解説教

誰のための人生?

マタイの福音書 19章1~12節
岩本遠億牧師
2021年1月10日

“イエスはこれらの話を終えると、ガリラヤを去り、ヨルダンの川向こうを経てユダヤ地方へ入られた。すると大勢の群衆がついて来たので、その場で彼らを癒やされた。パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」

イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」

彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」

弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれもが受け入れられるわけではありません。ただ、それが許されている人だけができるのです。母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」”マタイの福音書 19章1~12節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖書の言葉を読むときの原則
 ・当時の社会状況の中で語られた
 ・それを理解しないと言葉の意味を読み違える

短絡的な離婚禁止規定ではない
身勝手な男に対する警告

当時の女性の社会的立場
 ・ 非常に弱い。人格を認められていなかった。
 ・経済力があれば複数の女性を妻にし、気に入らなくなったら簡単に捨てていた。
 ・生産手段を持たない場合が多い。
 ・離婚されれば、生きていけなくなる
   →他の男の妻になるしかない=姦淫を犯させる

申命記24章
「24:1 人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせる」

恥ずべきこととは何か?という議論 二つの立場
1.料理を失敗した、夫の知らない男と会話したなど些細なこと。気に入らなければ離婚して良い。
2.性的な罪を犯した場合

イエスへの質問=どちらの立場か?
多くの男が1の立場を支持
→イエスに民衆の支持を失わせようとの悪意

悪意のある質問に対するイエスの答え
=創造者の御心、人が創造された時の本来的な姿という観点から、真理を語る

19:4 イエスは答えて言われた。 「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。 それで、もはやふたりではなく、一体なのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」

イエスの答え
女性は男性の所有物ではない。
二人は一体である。同等以上のものである。
本質的に引き離すことができないものだ。

「神が合わされたものを、人は引き離してはならない」

弟子たちの反応:「そんなことなら結婚しないほうがましだ」

しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれもが受け入れられるわけではありません。ただ、それが許されている人だけができるのです。母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」

独身者=去勢されたもの
・生まれながら結婚できないからだのもの
・人から去勢された宦官など
・自ら結婚しない道を歩むもの

このイエスの発言
=当時のユダヤ社会では驚くべき発言

申命記の規定
生まれながら結婚できない身体の人や宦官のように去勢された人は、主の会衆に加わることができなかった。礼拝できない者として差別され、軽蔑されていた。

議員となる資格
  結婚している男性。結婚していないと社会的に認められなかった。
イエス自身も、結婚しない道を歩んだ

イエスの宣言の意味
人が差別し軽蔑するような人生を神様から与えられたギフトである。
神様は、これらの人々にしか成し遂げることができない尊い人生を与えておられる。

人間存在に関わる重要な真理
=自分のアイデンティティに関わる最も重要な事柄は、自分では選べない。
親、性別、名前、基本的な体の特徴、持って生まれた性格、生まれた国、時代、母語

自分にとって最も重要な自分の本質に関わることは、自分では選べない。私たちは神のものである。自分のものではない。

ローマ人への手紙 14章

私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。

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