「マタイの福音書」連続講解説教

迷い出た者を

マタイの福音書18章10節から14節
岩本遠億牧師
2008年3月16日

18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。18:11 〔人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。〕18:12 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。18:13 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。18:14 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

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今日は教会暦では棕櫚の日曜日と言って、イエス様が十字架にかけられるためにエルサレムに入城した日です。今日から一週間が受難週となり、木曜日が最後の晩餐の日、金曜日が受難日、そして来週の日曜日が復活祭、イースターとなります。私たちは、毎週連続でマタイの福音書を学んでいますが、今日も先週の続きである箇所を、受難週に与えられる箇所として読み、そこから主の十字架の恵みを受け取りたいと願っています。

18章は、イエス様が教会の在り方を教えられた非常に重要な箇所であります。ある人は、これを「教会憲章」と呼んでいます。教会の中で何を一番大切にしなければならないかということが教えられているからです。その最初にイエス様が仰っていることが、「小さな者として、謙遜に生きる」ということであり、そのことについては先週学びました。次にイエス様が教えておられることは、「小さな者を見下げない。罪を犯したものを軽蔑しない」ということであります。

そして、その譬えとして「99匹の羊よりも1匹の迷った羊」というお話しをなさいました。

私は、小さいころから聖書を読んでいましたし、聖書物語のようなものも何種類か読んでいましたが、この箇所は、ずっと分かったような、分からないような感じがしていた箇所の一つでした。

比喩としてお語りになったものであるわけですから、聞く者が「そうだ」と思えないようなことを語っておられるわけがない。話の中に答えがあるはずです。中には、99匹は失われても良かった羊たちで、絶対に失いたくなかった価値ある1匹の羊がいなくなったので、99匹を見捨てて、その1匹を探しに行ったという解釈もあります。それは、既に初代教会時代にあった解釈ですが、異端的な解釈として退けられています。

この問題を解く鍵は、「迷った羊とは誰か」ということを理解することです。先週の箇所で、イエス様は弟子たちに、そして私たちに、「小さな者として生きよ」と教えておられます。今日の箇所は、それと一体となったテキストですから、「この小さな者=迷った羊」であると言われているのです。ですから、「小さな者として生きよ」とは「迷った羊として生きよ」と言い換えることができる。

イエス様は弟子たちに語っておられるのです。「お前たちも、迷った羊なのだ。探し出す人がいなければ滅んでしまう羊なのだ。それを知ることが、小さなものとして生きるということなのだ」と。

羊は、自分で草や水を見つけることができない愚かな弱い動物です。しかも、目が弱く、数メートル先までしか見えない。ですから、すぐに自分の飼い主を見失ってしまう。ふらふらと群れから迷いでてしまうのです。そして、草も水も自分で探し出すことができず、あるいは獰猛な動物に襲われて死んでしまうのが羊です。

イエス様は、それはお前たち一人一人だと仰っている。「人の子(わたし)は、お前たちを探し出して、命を与えるためにやってきたのだ。そのことを知る時、お前たち自身も、謙遜となり、わたしを信じる小さな者たちを見下げることはなくなる」と。

イエス様を信じるこの小さな者たちは、全員が迷った羊なのです。私たちは、全員がそうです。弱く小さな者です。それを自覚するところに、救いがあり、また、教会の一致があります。

私自身、このことがなかなか分かりませんでした。イエス様に出会って救われ、オーストラリアに留学し、パプア・ニューギニアに伝道に行きました。そして、ニューギニアでは、祈りによって多くの人たちが癒されるという不思議な働きをさせて頂きました。留学を終えて日本に帰って来て、千葉に住むようになりましたが、私たちが最初にしなければならなかったのは、教会探しでした。自分が生まれ育った教団は、変質して、教理的にもおかしくなってしまい、もう戻ることができなくなっていたからです。そして、最初に導かれ、4年間集った教会が、「千葉みどり台教会」という長老派の教会でした。板倉邦雄先生が牧師で、自らを「弱い人のための教会」と呼ぶ地味な教会でした。

私は、「弱い者を強くするのがキリストの福音ではないか。『弱い人のための教会』と自らを規定することによって、弱い人を弱いままにしてしまうのではないか」と考え、この「弱い人のための教会」というコンセプトがなかなか分かりませんでした。オーストラリアから帰ってきたばかりで、逆カルチャーショックなどもありましたし、日本社会に埋没したくないと、革のカーボーイハットをかぶって仕事や教会に行っていた私は、その教会ではかなり異質な存在だったと思います。

それだけでなく、帰るべき教会を失っていた私は、自分がこの教会の中で受け入れられるかどうかということに、非常に過敏になっていました。言葉にも棘があり、最初期から教会を支えてこられた方々にとっては、私の言動は受け入れることの難しいものだったようです。

そのような中で、牧師の板倉先生は、毎週の説教のアウトラインをアメリカ人宣教師たちのために英訳する奉仕を私に下さったり、大学での聖書研究会や、大学生伝道を推し進めるための新しい礼拝の企画を私に任せてくださったりと、私を生かそうとしてくださいました。しかし、事あるたびに、「岩本さん、謙遜に。謙遜であってください」と言われました。

今振り返れば、牧師の板倉先生は、「一人一人が、自分のことを弱い人間だと自覚するように。自分が迷った羊であることを知るように。それが弱い人のための教会ということだ」と教えておられたのではないかと思います。それが分からなかった私は、高慢でした。

自分が迷った1匹の羊であることを知ること、ここに謙遜の始まりがあります。また、ここに教会の一致の基礎があるのです。イエス様は、それを弟子たちに教えようとしておられるのです。

イスラエル民族は、父祖アブラハムの時代から羊を飼う民族でした。それで、羊飼いと羊の関係の中に神様とイスラエルとの関係を見てきました。

ダビデは歌いました。「主は、私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は、わたしを緑の牧場に伏させ、憩いの水のほとりに伴われます。」信頼する主が、私を導き、食物と水を与え、平安を与えてくださる。

「主は、わたしのたましいを生き返らせ、御名のためにわたしを義の道に導かれます」と告白しました。私の魂は死んでしまうようなことがあると言っているのです。それは、私が、主の声に聞き従わず、群れから迷い出て、暗い谷間に落ちてしまうことがあるからです。飼い主である主の声も聞こえない。食べ物もなく、水もなく、また獰猛な動物に脅かされるような者、魂が死んでしまったような者を、求めて探し出してくださる方がいる。命をかけて、私を義の道に連れ戻してくださる方がいるのです。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。あなたが私と共におられますから。」死の陰の谷まで落ちていた私、そこまで、主よ、あなたは来て下さった。絶望の谷まで降りてきて下さり、私の手を取ってくださった。それが、主よ、あなたですとダビデは告白したのです。

旧約聖書のエゼキエル書の中で神様が語っておられます。「34:11まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする・・・34:16わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。」

この預言の成就として、イエス様はやってこられました。しかし、迷い出るとはどういうことでしょう。旧約時代のダビデやエゼキエルは、命懸けで連れ戻し、生かしてくださる主を知っていましたが、迷い出ることの意味、また、連れ戻すために主ご自身が支払われる代価ということについては知りませんでした。迷い出るとは、罪の支配の中に落ちるということです。自ら罪を犯す場合もありますし、気が付いたら罪の中に生きていたということもあるでしょう。何れにせよ、神様との関係がない世界に生きること、ことの良し悪しを自分で決めようとすること、神様に従っていないこと、心が神様と結びついていないことが罪であり、これが神様の群れから迷い出ることです。ですから、迷い出た者を神様の群れの中に連れ戻すためには、罪が赦されるということが必要でした。罪が赦されることなく、神の子の群れの中に戻ることはできないからです。イエス様は、多くの人の贖いの代価として自分の命を与えると言われましたが、罪を処分するために、イエス様が迷い出た羊に代わって自分の命をその代価として支払うということです。

京都に同志社大学というキリスト教精神に基づいて設立された大学があります。創立者は日本人で最初のプロテスタントのキリスト者となった新島譲先生です。新島先生は幕末、まだ日本が鎖国をしていた時、聖書に触れ、国禁を犯してアメリカに渡り、10年間をかけて最高の大学教育を受け、神学校で聖書を学びました。熱烈なキリスト者となった先生は、当時劣等国であった日本を帝国主義の荒波から救うために必要なことは、文明の力でも、軍備の近代化や増強でもない。ただ、キリストの愛と義に基づいた教育が日本に行われることが、何よりも必要である。キリストの愛と義によって日本人の精神性が変革することなしに日本が救われることはないと確信し、熱烈に訴え、アメリカから多額の献金を得て帰国しました。

多くの困難をへて明治8年に「同志社英学校」を設立しましたが、入学者も少なく、また経営上の問題もあり、明治13年に学生がストライキを起こしました。なかなか解決が難しい問題で、新島先生は心を痛めました。学長としてストライキを起こした学生を処分にしなければならない。しかし、処分された学生は、処分に対して退学も辞さないような構えです。退学すると彼らの将来は閉ざされてします。新島先生は祈り、4月13日の朝の礼拝のとき、太い桑のステッキを持って壇上に上りました。そしておもむろに

「吉野山 花咲くころは 朝な朝な 心にかかる 峰の白雲」

と古い和歌を引用し、学生に語り掛けました。「諸君が本校において学ばれる姿は、ちょうど満開の桜のようであって、こんな些細なことで退校してしまっては、将来はどうなることだろうか――私は諸君の前途を案じて日も夜もこの古歌のように心を痛めている。今回の事件は、最初から学校側の手落ちであって、これは全く校長の私が至らなかったためである。生徒を罰すべきでもなく、教員の誰かを咎めることでもない。全責任は校長にあるのであって、罰すべきはこの私である」と言うや否や、太い桑のステッキを振り上げたかと思うと、それでご自分の左腕を何度も打ちすえました。見る見るうちに左腕は腫れあがり、血が出で、ステッキは二つに折れました。それを見た学生たちが2、3人壇上に駆け上がり、泣きながら先生を抱きとめ、「先生。やめてください。私たちが悪かったのです」と言いました。先生は傷ついた手には目もくれず、「諸君。これで校則の重んずべきことがお分かりでしょう。このことについては口外無用」と言って壇を降りられ、事件は解決しました。

校則を破り処罰の対象とならなければならなかった学生の代わりに新島先生は自らを罰し、学生は罰を受けずにすんだのです。迷い出たのは誰だったのでしょうか。新島先生だったのでしょうか、それとも学則を破った学生たちだったのでしょうか。しかし、先生が罰を受けられたので、学生達は同志社の学生でいることができたのです。選ばれて同志社の学生となった者が犯した罪、新島先生は、それを自分の身に受けて、学生を守り、同志社の名誉を守ったのです。そして新島先生の愛に育てられた多くの学生達がやがて花咲き、大伝道者となり、日本中に散ってキリストの愛の福音を宣べ伝えていきました。

罪を犯して迷い出た者を罰することは簡単です。しかし、神様は、こんな者たちの中に永遠の価値を見ておられるのです。イエス様の命を代わりにしても惜しくない価値を見ておられるのです。誰も滅びることを望んでおられないのです。だから、イエス様はご自分の命を捨てて、罪の身代わりとなって十字架にかかり、私たちを生かしてくださったのです。

今週は受難週です。迷い出た小さな者とは誰でしょう。そして、迷い出た者を探し出し、連れ戻してくださった方、その罪の代価を支払ってくださったのは誰だったのでしょうか。

イエス様は、言われました。「わたしは、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のために命を捨てます」と(ヨハネ10:11)。

祈りましょう。

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