「マルコの福音書」 連続講解説教

隠れた本質を見る目

マルコの福音書第6章1節~6節
岩本遠億牧師
2017年1月8日

6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。

6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。

6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。

6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。

ヨハネの福音書 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。 1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

マタイの福音書
6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、 6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。

第二コリント4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

関連記事