「マタイの福音書」連続講解説教

私たちの王は黙らない

マタイの福音書 21章23~46節
岩本遠億牧師
2021年3月7日

“それからイエスが宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」すると彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、それならなぜヨハネを信じなかったのかと言うだろう。だが、もし人から出たと言えば、群衆が怖い。彼らはみなヨハネを預言者と思っているのだから。」そこで彼らはイエスに「分かりません」と答えた。イエスもまた、彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。

ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。

もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」イエスは彼らに言われた。

「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちについて話しておられることに気づいた。それでイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。”
マタイの福音書 21章23~46節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

語用論
文の字義的な意味と文脈の中で果たす機能(文脈上の意味)とのずれを研究する言語学の分野

冷房が効きすぎている教室で、教師がエアコンのコントローラーのそばにいる学生に向かって。

「ちょっと寒くないですか?」

字義的な意味
=部屋が寒いかどうかについての質問
語用論的な意味
=エアコンの温度を上げるように指示する
←寒いということは共通の理解という前提

リビングでくつろいでいる夫婦
トラックが玄関の前に止まり、ピンポンがなる。
二人ともピンポンには気付いているが、動こうとしない。

夫:「ピンポン鳴ったよ」
字義的な意味
=ピンポンがなったことを相手に知らせる。

語用論的な意味
=君が対応しろよ←二人ともピンポンがなったことは共通の理解という前提

聖書も語用論を使って書かれている
→読む側も語用論を使って理解しなければならない
それからイエスが宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老(=パリサイ人)たちがイエスのもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」

イエスは神殿の中の異邦人の庭で教えておられた。
1日前には異邦人の庭で宮清めをなさった。
神殿に関する権威、権限を持つもの=祭司長

「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」

祭司長の前提
=我々はイエスにこのような権威を与えていない。イエスもそのことは知っている。

語用論的な意味
→このようなことは今すぐやめろ、という命令。

イエスは、この語用論的な意味を理解した上で、裏をかいて、字義的な意味から反論する。

「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」

すると彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、それならなぜヨハネを信じなかったのかと言うだろう。
だが、もし人から出たと言えば、群衆が怖い。彼らはみなヨハネを預言者と思っているのだから。」

そこで彼らはイエスに「分かりません」と答えた。イエスもまた、彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。

イエスは、彼らが答えたくない質問をあえてする。
        ↓
私もあなた方の質問には答えない。

語用論的な意味
=わたしは黙らない。
  わたしは癒し続け、わたしは語り続ける。

その後二つの譬えを語る

第一の譬え
バプテスマのヨハネは天からであった。
しかし、あなたがたは信じなかった。

第二の譬え
イエスも天の権威でこれを行なっている。
しかし、あなたがたは信じない。
→「何の権威によって?」という質問に対する明確な答え

もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園(=神の民イスラエル)を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たち(=イスラエルの指導者たち)に貸して旅に出た。

収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたち(=預言者)を遣わした。ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。

主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。

その後、主人は『私の息子(=イエス)なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』

ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。

また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」

“家を建てる者たちが捨てた石
それが要の石となった。
これは主がなさったこと。
私たちの目には 不思議なことだ。
これは主が設けられた日。
この日を楽しみ喜ぼう。”
詩篇 118篇22~24節

“万軍の主、主を聖なる者とせよ。主こそ、あなたがたの恐れ。主こそ、あなたがたのおののき。
そうすれば、主が聖所となる。しかし、イスラエルの二つの家にとっては妨げの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民には罠となり、落とし穴となる。多くの者がそれにつまずき、倒れて打ち砕かれ、罠にかかって捕らえられる。”
イザヤ書 8章13~15節

石造りらの捨てた石=イエス
妨げの石、躓きの岩=主ご自身

イエスの主張=わたしこそ、天からのもの。
          天の権威を持つものである。

わたしは黙らない。わたしは癒し続ける。

イエスは黙れば、十字架にかけられることはなかった。しかし、イエスは黙らない。
父なる神様が語り続け、叫び続けておられるからだ。

イザヤ書 62章
1 シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。

6 「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと主に求める者たちよ、休んではならない。
7 主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」

関連記事