ヘブル人への手紙第2章1節〜9節
岩本遠億牧師
2018年4月22日
2:1ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。 2:2もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、 2:3私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、 2:4そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。
2:5神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。 2:6むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。
「人間が何者だというので、
これをみこころに留められるのでしょう。
人の子が何者だというので、
これを顧みられるのでしょう。
2:7あなたは、彼を、
御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、
彼に栄光と誉れの冠を与え、
2:8万物をその足の下に従わせられました。」
万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。 2:9ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
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マルコ10:45
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
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マタイ
6:22からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、 6:23もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
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第二コリント4:16−18
4:16ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。