マルコの福音書第1章40節~45節
岩本遠億牧師
2016年8月21日
1:40 さて、ひとりのツァラアトに冒された人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」 1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 1:42 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。
1:43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。 1:44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
1:45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。
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『新聖書辞典』
レビ13‐14章に「ツァラアト」についての詳しい記述がある.現代医学の目で見ると,いわゆるハンセン病に当てはまるものも一部含まれているが,もっと広い範囲の汚れを意味している.「衣服のツァラアト」(レビ13:47‐59),「家のツァラアト」(レビ14:33‐53)という表現は,かびの繁殖を示すものと思われる.人の場合も含めて,ここでは祭司が最終的な判断を下し,汚れているか,きよいかを宣言する.汚れていると宣言された人,衣服,家は隔離され,一定期間後に再点検して,異常がなければ,きよめの儀式を行い,もとの生活に戻ることができた。
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「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
「あなたが望めば、あなたには私を清くすることができます。」
主語は、「あなた」=イエス・キリスト
誰の思いが実現するのか?
私の思いか?イエス・キリストの思いか?
イエス・キリストの思い=父なる神様の御思い
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古代ユダヤにおける価値体系:聖vs穢れ
聖なるものだけが神に近づくことができる
穢れたものに触れる→穢れる
イスラエル人=穢れを忌避、恐れ
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レビ記
13:45 患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている。』と叫ばなければならない。13:46 その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。
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この人:回復の見込みのないツァラアト
隔離地帯で生活
社会から捨てられる
→律法を破って、町に出てくる
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神様の私たち一人一人に対する御思いは何か?
1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 1:42 すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
二種類の写本:
「イエスは深くあわれみ」
「イエスは憤り」・・・こちらが元々との説
「憐れみ」と「憤り」=一つのこと→神の力の発動
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何故、触る必要があったのか?
言葉だけで癒すことができるお方が主イエス
参照:ルカ
17:12 ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。17:14 イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
イエスご自身は穢れを引き受ける
=十字架の原型
イエスは、体だけでなく、心も癒される
=全ての人に嫌われ、拒絶されてきた深い痛みの癒し
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主イエスは律法を超えておられた。
しかし、この人には律法の中で社会復帰をすることをご命令になった。
=礼拝共同体としてのイスラエルへの復帰
=礼拝者としての実存の回復
=主イエスの癒しの目的
しかし、この人は主イエスのご命令に従わない。
1:43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。1:44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
1:45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。
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この人=イエスの御思いによる清めを求める
→癒され、清められる
→自分の思いによって宣教
→イエスの活動を制限
しかし、イエスは、ご自分のところに集まる人々を教え、癒していかれる
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主イエスの願いは何か?
私たちが求めるべき、主イエスの願い、祈りは何か?
ヨハネの福音書
「4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
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ジョゼフ・ダミエン神父 1841〜1889
ベルギーに生まれる。
22歳 ハワイ伝道へ
33歳 モロカイ島に入る
全世界から集められたハンセン病患者の隔離施設
三方が海、一方が断崖絶壁
「ここに入る者は全ての希望を捨てよ」
ありとあらゆる犯罪、ありとあらゆる不道徳
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絶望と廉恥心の喪失
会堂を掃除、修理、再建
孤児院を建てる
患者の子供たちを集め養育
死んだ患者を手厚く葬る
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患者たちの中に人間の心が回復
16年間に1500の棺桶を作って遺体を葬った。
当局からの圧迫があるときには、身を挺して戦った。
「もし皆さんが、苦痛に堪えられないようなことがあっても、心配してはいけない。ここに、皆さんの真直中に立って、その苦痛を歓喜に変えることのできるお方がいらっしゃるのです。これがイエスだ。何か困ったことがあったら、直ちにキリストに行くことです。イエスにお出でなさい。イエスは、皆さんを慰めてくださいます。」
少しずつ心を開いて行く患者たち。
道徳の回復。
43歳 ハンセン病発病
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患者のコック、患者のお手伝いさん。
同じ食器、同じ生活
「もし、病気が回復したらこの地から召還されるのであれば、病気が治らないことを願う。」
彼らと一つであることを願い続けたダミエン。
1889年 帰天
「ダミエンは、最初、彼らハンセン病患者を野獣より人間に変えた。更に、今や、彼らを人間より神の子供たちに変えた。」