「マルコの福音書」 連続講解説教

キリストは善悪を超える

マルコの福音書第14章53節〜65節
岩本遠億牧師
2018年1月14日

53それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。 54ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。

55さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。 56多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。 57ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、 58「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きました」。 59しかし、このような証言も互に合わなかった。

60そこで大祭司が立ちあがって、まん中に進み、イエスに聞きただして言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。 61しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。 62イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

63すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。 64あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。 65そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、「言いあててみよ」と言いはじめた。また下役どもはイエスを引きとって、手のひらでたたいた。


理由なき逮捕=律法違反を見つけられない
死に当たる律法違反→死刑
死刑にするために律法違反を探すが見つからない。

58節=主イエスの主張
     最初の殉教者ステパノの証
     →律法違反ではない
神殿礼拝主義の否定→真の神殿=人

天の父は、悪い人の上にも良い人の上にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる。

あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全であれ。
          マタイの福音書5章45、48

完全=聖
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」  レビ記11章45節


サタンの誘惑(創世記)=「自分の正しさを主張しなさいよ」

自分の正しさを主張する=他を否定する=愛を殺す

善悪を問題にさせる=サタンの策略

イエスの戦い=×善悪の戦い
       ○サタンとの戦い

+
×雲に乗って
→雲と共に(新改訳2017)

雲?=シャキナー SHeKHiNa  神の臨在
  ↑
  シャハン  SHaKHaN  住む

人の子(=イエスご自身)はやがて神の臨在と共に来る(=神と等しい者として来る)


ヘブル人への手紙
5:7キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

5:8キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、 5:9完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、 5:10神によって、メルキゼデク(「王は義」の意、永遠の大祭司)の位に等しい大祭司ととなえられたのです。

ピリピ人への手紙
2:6キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 2:8キリストは人間と同じようなかたちになり、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

2:9それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 2:10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 2:11すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。


人は善悪では救われない。
善悪を超える「聖」に触れられる時に救われる。

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