「ルカの福音書」 連続講解説教

ルカの福音書講解(46)本当の姿を見る

ルカの福音書第9章28節~36節
岩本遠億牧師
2012年8月19日

9:28 これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。

9:29 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。

9:30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、

9:31 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。

9:32 ペテロと仲間たちは、眠くてたまらなかったが、はっきり目がさめると、イエスの栄光と、イエスといっしょに立っているふたりの人を見た。

9:33 それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。

9:34 彼がこう言っているうちに、雲がわき起こってその人々をおおった。彼らが雲に包まれると、弟子たちは恐ろしくなった。

9:35 すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」と言う声がした。

9:36 この声がしたとき、そこに見えたのはイエスだけであった。彼らは沈黙を守り、その当時は、自分たちの見たこのことをいっさい、だれにも話さなかった。

ローマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
・・・
8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

ヨハネ第一
3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

ピリピ3:21
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

コリント人への手紙第二3章17~18節
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

新聖歌358

1.神なく望みなく さまよいしわれも
  救われて主をほむる 身とはせられたり
(折り返し)
  われ知るかつては 目見えざりしが
  目を開かれ 神を誉む 今はかくも

2.かつては罪のため こころは曇りて
  迷いしが今は目も またく開きたり

3.栄えの君にます 主はわれにとりて
  わが誇りわが望み またわが全てぞ

4.なさばや このいちじ 後のもの忘れ
  先のもの望みつつ 勝利を得(う)るまで

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