「マタイの福音書」連続講解説教

希望が消えることはない

マタイの福音書第24章15節〜31節
岩本遠億牧師
2021年5月23日

「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。そのとき、だれかが『見よ、ここにキリストがいる』とか『そこにいる』とか言っても、信じてはいけません。偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。いいですか。わたしはあなたがたに前もって話しました。ですから、たとえだれかが『見よ、キリストは荒野にいる』と言っても、出て行ってはいけません。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはいけません。人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。死体のあるところには、禿鷹が集まります。そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」
                     マタイの福音書 24章15~31節

イエス・キリストの最後の長い説教の一部
イエス・キリストの戦いは歴史の中で起こった事実

イエス・キリストの戦い
=悪魔(サタン)との戦い・・・抽象的なことではない
=ローマ帝国に権力を与えていた悪魔との戦い
→ローマ帝国による攻撃と迫害
→十字架刑

ローマ帝国によるエルサレム破壊=悪魔による神の都の蹂躙

イエス・キリストとその民は苦しめられる・・・何故か?
悪魔は神の相手にならないものなのに、神は何故悪魔を即座に滅ぼし、平和をこの地にもたらさないのか?何故、神の民が苦しむ状況を許されるのか?

神の孤独(アブラハム・ヘシェルが喝破)
=神は自分の意志で神を愛する者との関係を持ちたいと願っておられる。神が欲するのはロボットではない。自分の意思で神を愛する者。

神が人のために妻を造った時
     「人が一人でいるのは良くない」
          ↑
     神は孤独の悲しみを知っていた(手島勲矢氏)

孤独な神は、人に自由意志を与えた。
=人の自由意志には介入しないと決めた
→全知全能の神が、ご自分の行動を制限した

神の行動原則=愛
1 神は人を信じ抜く=神の忍耐と希望
  人は、自分の自由意志で神を愛し、隣人を愛することができる
    →人の自由意志に不介入
2 ご自分を頼る人を決して見捨てない

イエス・キリスト(受肉した神、人となった神)の出現
見た目は、ローマを支配する悪魔がキリストを殺し、弟子たちをねじ伏せた
=自由意志による神への愛と恭順を叩き潰した

しかし、キリストは十字架と復活によって悪魔の力を打ち砕いた
→聖霊降臨、聖霊の満たし
=全存在で神を愛するものへと新たに生まれ変わる
→キリストこそ全人類の王であるとの宣教
→世界中に自分の意思で神を愛する者たちが充ちる
→神の民を集める=神と神の民が一つとなる

宣教の時代=困難な時代
 ・自由意志で神を愛する者が圧迫を受け、迫害される時代
 ・偽キリストが現れる時代

しかし、イエス・キリストはご自分の民が苦しめられることを望んではおられない。殉教することを望んではおられない。

具体的な指示をおこない、ローマ軍によるエルサレム占領の時、ご自分の民を脱出させた。
→逃げることによってさらに福音が広がっていく。

自分の自由意志で神を愛する者たちがこの地に満ちる
→主が再び来られる

人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。死体のあるところには、禿鷹が集まります。
=全世界に同時に現れる
=誰でも自分でわかるように人の子は来る

そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。
=どんなに偉大でも被造物は神の前にその威光を失う。神が主権者であり、創造者、絶対者であることが明らかにされる

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲(シェキナー=神の臨在の超常現象)のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。

ラッパと訳されるShofar

神は自分の意思で神を愛する者(不完全な愛であっても)を一人も見捨てない。世界中から神を愛する者たちを一人残らず集める。

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