「マタイの福音書」連続講解説教

神を知り、神に知られる人生を

マタイの福音書第25章1節〜13節
岩本遠億牧師
2021年6月6日

“そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。
そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。
賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。
花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。
ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。
愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』
しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』
そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。
その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』
ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。”
マタイの福音書 25章1~13節

イエス・キリストの最後の説教:終わりの日についての予告
・わたしはもう一度来る
・十字架は終わりではない。新しい時代、新しい歴史の始まりである。
・わたしは必ず甦る。
・わたしは必ずもう一度来て神の民を集める。

この箇所を理解する鍵
「目を覚ましている」とはどういうことか?
「眠る」とはどういうことか?

当時のイスラエルの結婚の風習
1年ほどの婚約期間(法的には夫婦)
      ↓
花婿が花嫁を迎えに行く。
花婿の家で祝宴が開かれる。

花嫁のところには、乙女たちが待機。ランプを手にとって花婿の家まで道を照らし、共に結婚の宴につく。

ランプのための油を人に分けることはできなかった。分けてしまうと、自分の火も消えてしまい、結婚の行進の道を照らすことができなくなる。

花婿=再び来られるイエス・キリスト
花嫁=エクレシア(召されたものの集まり=教会)
娘とは誰か?

賢い娘と愚かな娘
共通点:両者とも眠ってしまった。
→眠ってしまうということが問題ではない。
→「目を覚ましていなさい」という言葉は文字通りの意味ではない。(「いつも徹夜祈祷会しろ」という意味ではない。)

眠る=死ぬ
目を覚ましている=死ぬ前に油を準備しておく

花婿(=イエス・キリスト)がエクレシアを迎えに来られる
→死んだ者たちが甦る(=キリストは私たちを甦らせる)
→油を用意していた者たちだけがエクレシアを構成する

油を用意していなかった者たち
→その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』

油を用意しているとは?
=イエス・キリストを知り、イエス・キリストに知られる関係に生きる。

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